2021.06.10
こんにちは。渡邊です。
いつも私の文章を読んでくださっている方は、よろっと私がどういう人間なのか漠然とは分かってきたのではないでしょうか。
今回はちょっと暗い話になると思います。笑
その前に、先日西ノ島に島体験生と遊びに行った時の写真を載せます。
この写真を撮ってくれた二人。素敵な写真をありがとう~!
(一番右が私です。とうとう姿を現しました。)
っしゃあ行くぞ。
さて、本文。
タイトルにある通り、「考えすぎ」な場面って結構あると思うんです。
最近の話で言えば、我々島体験生は毎週金曜日に研修を行っているのですが、そこでグループに分かれて「自分の変えたいところ」について話し合いを行いました。
そこで私が言ったのは「自分に嘘をつかないような人間になりたい」ということ。
私は小学校3年生から中学校3年生になるまでの6年間ずっといじめを受けていた。何をするにも笑われて、何をするにも否定される。そんな学校生活を続けていた私は、いつの日か自分の気持ちを表に出すことを辞めました。
「自分の気持ちだったり、自分の感情を表に出して、良かったと思う経験なんか何一つ無い」と。
あ、話がそれてしまって申し訳ありません。
そうそう。
海士町に来て、私は初めて親元を離れてシェアハウスを始めました。
当然そこでも、思う事や感情が生まれはしますが、ここで小中学校の体験がチラつくわけです。
今自分が思っていることを言ったら相手が気分を悪くするんじゃないかな…。もし嫌な気分にさせて嫌われたら嫌だな…と思い、私は常に自分に「これで良いんだ」と嘘をつき、自分を押し殺して生きてきました。
いつの日かそれが癖になってしまい、自分でもいつ自分に嘘をついているのか、自分を押し殺しているタイミングがいつかなんて分からなくなってしまいました。
ここで研修の話に戻りますが、私の「自分に嘘をつかないような人間になりたい」という目標を同じグループのメンバーに話したところ、、、
「最近は自分にどんな嘘をついたの?」
一番聞かれたくない最悪の質問です。
分かるわけがない。
分かってたら苦労しない。
私は言葉が出なくなってしまった。
確かに、変わりたい気持ちはある。
だが、前々から自分だけで考えていた「自分に嘘をついたタイミング」はいつなのかという問題を自分では無く相手から出された瞬間、私はこの問題は絶対に解決できないと咄嗟に思ってしまった。
それもそのはず、自分に嘘をつかない人間になるためにはまず、自分がいつ自分に嘘をついたのかを理解する必要があると私は思っている。
その為私は、その質問に対してもそうなのだが、答えが出せない自分自身に絶句してしまった。今まで認めたくなかった事実。
自分で「自分に嘘をつかない人間になりたい」とか言っておきながら、解決するための入り口にも立てていなかった自分が心底恥ずかしかった。
そして、その研修ではもう一つ気付くことがあった。
それは、「自分の事なんて誰もあまりみていない」ということ。
今まで私は周りの目を気にしながら生きてきた。常に周りと同じを求められ、上手く自分を表現できなかった。表現すればするほど、自分の周りからは人がいなくなっていく。
「周りと違うことをすると白い目で見られる」
変な奴だと思われたくない」
様々な理由があって自分を出せない人は多いと思う。
だが、案外…
誰も貴方なんて見ていない。
貴方に興味なんか無い。
文字だとすごく冷たく聞こえるが、そうじゃない。
ありのままの自分を出しても、絶対に否定されない。
そもそも否定される筋合いがない。
相手も、否定していい理由なんかない。
嫌われるかもなんて、そう。
「考えすぎ」
おーわり。
読んでくださってありがとうございました。
私は6月いっぱいで新潟に帰ります。
海士町で私と知り合ってくださった方々、本当にありがとうございました。
ばか楽しかったです。
なんかこのnoteで終わりみたいになってますけど、あと1回あるのかな。
じゃあその時に書けよって思いますよね。
私も思います。笑
言いたいんですから仕方がないです。
おーわり。からの文章ってほんと要らないですね。
あなたの貴重な時間をこのクソ意味不明な私のnoteに使って下さってありがとうございました。
もしかしたら、クソ意味不明ってのも考えすぎなんですかね。
私はそうは思いません。
今度こそ本当に、おーわり!!
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