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2021.06.07

大人の島留学日記#106 「僕と海士町と島留学。(第二話)」

こんにちは。

 

自分の名前をフクです、か。けんごです、か。
どちらで自己紹介するべきか、最近迷っているフクです。

 

今年の四月に海士町にやって来てはや二か月が経過しました。
ふと、したときにこの二か月を思い出してみました。

 

色んな事があったなぁと頭の中では思い出せる。

 

けど、
それでは当時の面白かった、美しかった瞬間の視覚的な鮮明さに欠ける。

 

いつのまにか曖昧な記憶になってしまうんですね。

 

せっかくの思い出なのにもったいないなーと。

 

そんなこともあって。

 

最近は普段の何気ない事でも写真にとって思い返せるようにしています!
そんな写真たち↓

 

では、本題へ。

 

「僕と海士町と島留学。(第二話)」

 

はじまり はじまり

 

前回の投稿↓

 

 

に引き続いて、今回はそれの第二話。

 

前回の話は。

 

大学一年の年が終わって、”海外行きたいぃぃぃ少年だった僕”は中国への協定校交換留学へのエントリーを終えたところでした。

 

そして今回の話は二年生へ突入します。

 

え~と、話のオチから言うと。

 

ほぼほぼ、
留学のエントリーと同時に交換留学は決定していました (笑)

 

実は、

 

自分の大学は北東アジア地方との学問的な結びつきや交流事業が多くそれら関係の事業はとても手厚い待遇がありました。

 

特に中国の吉林大学(これから行くことになる)は僕の大学で最も待遇がよく、
あっちで暮らす全ての生活費は授業料も含めても日本で暮らすより金銭的に安いという嘘のようなホントの話。

 

では、なんで留学がそんなにすぐ決まったか??

 

それは、エントリーした人が僕だけだったから。(笑)

ほんとびっくり!!

 

基本的にこの待遇を知っている人が少ないこと。知っても中国に行くという決断ができない人。沢山の理由があってのことだと思います。

そして、合計一年ほどの初歩段階のみの中国語スキルで渡中。
(2019年9月、当時二年秋学期から)

 

期間は一年間。

 

この時、一つ必ずやると心に決めていったことが一つ。

 

中国に行ってもサッカーは続けよう 

 

ということ。

 

さて、

 

中国Lifeは刺激的で忙しく、苦労することも沢山ありました。

 

でも、いつも楽しかった!!

 

限られた時間の中で自分がどれだけ文化や地域、人間関係に溶け込めるのか?

 

まさに今、この海士町でのチャレンジと同じような状況からの走り出しでした。

 

この時に今の海士町での暮らしにも通じる無意識的な考え方が一つ身についていたことに気が付きました。

 

それは”常にイエスマンでいること思想”。

 

チャンスがあったら飛び込むし、誘われたら二つ返事で参加するし、やりたいこと、やろうと決めたことがあったらとりあえずやってみる。

 

のような全体的に+のエネルギーを発すること。

今回はここらへんで。

 

え~、なかなか海士町までたどり着きませんが、

 

今回も長くなってしまいそうなのと、意外に日記の更新頻度が高いので今回はここまで。

 

読んでくださりありがとうございました。

 

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次回予告。

 

「僕と海士町と島留学。(第三話)」

 

・入ったサッカー部はアジア人0の黒人サッカー部!?
・今の髪型の元となった中国カット完成。
・そして忍び寄る魔のウイルス??

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