2021.06.25
こんにちは。
最近、埼地区からの通勤風景が贅沢すぎることを再認識しているフクです。
特に、夕方の日の落ちる前は別格の美しさですよ。
↑夕日とぼっか。
これは種苗センター前の湾で釣りをしたときの写真です。
こっちでは魚のカサゴのことを”ぼっか”(方言なのかな??)というらしく。
最近はめっぽう、ぼっか使いです。
ちなみに僕の出身の広島・尾道では”ほご”と呼んでました。
全国どこでも釣れる魚だからこそこうやって沢山の名前でよばれてるのかもっ、ですね。
皆さんの地域ではどうやって呼んでいましたか??
”ほご”と同じの人はいますか?(笑)
では、本題へ。
「いざ、中国へ。」僕と海士町と島留学 (第三話)
はじまり。はじまり。
あっという間に第三話ですね。
自分でも前回どこまで書いていたのか記憶が曖昧で隣に前回の記事を据えて書いております。
海士町に来るに至った経緯をつらつら書いているこのシリーズ。
海士にたどり着くまでがだいぶ長くなってしまっていて、果たして需要はあるのかどうか、ちょっと不安になってきております。(笑)
でも、やり始めたからにはやり抜こう。
↓前回の記事
前回は、
中国での刺激的な生活が始まったという所まで書きました。
様々な国からそこに来ている留学生。文化も肌の色も考え方も性別も年齢も違う。多種多様な人と空間がありました。
それから、出発前に決めていったことが一つ。サッカーを続けることでした。
そして、ちゃんとサッカー続けました。
ドン。
僕が入ったのは留学生だけで編成しているサッカーチーム。
入ってみてびっくり。まさかの日本人はおろか東アジア系の人は誰もいませんでした。
てか、8割黒人でした(笑)
でも、凄く楽しかった!!彼らはオリジナルのボディランゲージであいさつをすることが多く一緒になってそれをやったり。万国共通の恋愛のネタで盛り上がったり。
なんだかんだめっっちゃわらってたな(笑)
練習は週二回。ほぼ毎回行ってました。
ここで学んだこと。
それは前回も書きましたが、”イエスマンでいること的思想”。チャンスがあったらまず飛び込む。リスクを恐れずとりあえずやってみて、それから考える。
この考え方今でも生きてます。
ここ海士町でも自分がワクワクする挑戦やっとやり始めました。(近日公開予定)
本来中国へは中国語言語と文化を学ぶ言語学習生としての交換留学だったんですけど、今にも通じる沢山の事を学び精神的な成長が大きかったなと。
え~、そんなイエスマン君。
違う文化や考え方の環境に入るならまずは形からということで中国で一番はやっているという髪型にしました。
その名残で今もこのような髪型になっているんですね。でも結構気に入ってたりする。
たまたまちょっと前の那須川風カットなのはただの偶然。
そんな中国生活も半年が経過した2020年一月。
そう。奴がやってきました。
コロナです。
今だに世界を混乱の渦に巻き込んでいるこいつです。でもまだ第一形態の時。
ドラゴンボールのフリーザで言ったら一番弱いチビ角トカゲみたいな時。
それでも、他に敵なしの強さだったな。
もはや、今は第何形態まで到達しているのかわかりません。
話を戻して・
元凶の国でした。お詫びします。すいませんでした。
そして日本へ緊急帰国!!
それが2020年2月のこと。
ここからどうやって海士町と出会うのか??そしてどういった経緯で島留学へ!?
またまた長くなりました。
今回はここら辺で。
読んでいただいてありがとうございました。
次回予告。
僕と海士町と島留学 (第四話)
日本へ帰国後、そのやりきれないエネルギーを使ってやったこととは?
そして、帰国して間もなくで引っ越しを決断するようになる大失敗とは?
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